メジャーリーグ、大谷翔平活躍の礎 となった「背番号42」ジャッキー・ロビンソン

メジャー、アメリカン・リーグ「4月の 新人月間MVP」 に大谷翔平選手が選ばれたとのニュース!

打者としては12試合に出場。打率3割4分1厘、4本塁打、12打点の活躍。

投手としても4試合で2勝1敗、26奪三振。防御率4・43という素晴らしい成績を残しました。

マリナーズの会長付特別補佐に就任したイチロー選手も、これまでのメジャーリーグでの数々の伝説は枚挙にいとまがありません。

二人の夢の2ショット写真がTwitter上で公開されました。

そんな日本人選手にとっても、メジャーリーグでの活躍の礎となった偉人、ジャッキー・ロビンソンに注目してみましょう。

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メジャーリーグ全球団で永久欠番 「背番号42」 とは?

去る4月15日(日本時間の4月16日)は、メジャーリーグにとって特別な日「ジャッキー・ロビンソン デー」でした。

71年前の4月15日、メジャーリーグに初の黒人選手として入団し、その後、公民権運動にも尽力して歴史に名を残したジャッキー・ロビンソン。

その功績を讃え、彼の背番号だった42番は、メジャーリーグ全球団で永久欠番となりました。

そして、毎年記念すべき4月15日の試合では、監督、コーチ、選手が全員 「背番号42」 のユニフォームを着て試合に臨むのだそうです。

当然、エンゼルスの大谷翔平選手も 「背番号42」 を着てロイヤルズ戦に先発予定だったのですが、氷点下の悪天候のために試合が中止となり、残念ながら今年は見ることはできませんでした。

人種差別に打ち勝ち、世界を変えた男

71年前のアメリカと言えば、当時はまだ黒人差別が激しく、メジャーリーグも白人だけのものでした。

暗黙のカラーラインがあり、選手はもちろん観客も白人だけ。

ホテルやレストランに至るまで、有色人種は白人と一緒の場所に居ることも許されなかった時代です。

彼は野球ファンはもとより、チーム内でも人種差別を受け、脅迫状が送りつけられることもあったそうです。

しかし、スタジアムでの嫌がらせや、ヤジが飛んでも決して怒らず、常に毅然として野球に打ち込み、以下のような素晴らしい結果を残しました。

・1947年 新人王、盗塁王

・1949年 首位打者、盗塁王、ナショナル・リーグMVP

・1955年 ワールドシリーズ優勝(ブルックリン・ドジャース)

・オールスターゲーム選出6回

彼が人種の壁を超えて多くの人に愛されるまで、どれほどの苦労があったのか、察するに余りあります。

彼の活躍は、2013年に「42~世界を変えた男~」という映画になっています。

人種差別撤廃を求めて、球場の外でも尽力

ジャッキー・ロビンソンは、球場内だけでなく、人種差別撤廃のための運動にも率先して参加しました。

キング牧師の演説で有名な1963年の「人種差別撤廃を求める集会」(ワシントン大行進)でも、彼は人種の平等を訴えました。

野球界だけでなく、アメリカ社会そのものを変えるきっかけを作ったのです。

ジャッキー・ロビンソンが活躍してから、メジャーリーグでの有色人種の数は次第に増えていき、現在のように多くの日本人選手も進出するようになりました。

大谷翔平選手やイチロー選手がメジャーリーグで活躍できているのも、ジャッキー・ロビンソンが礎となった、と言っても過言ではないでしょう。

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ジャッキー・ロビンソンの名言

・「不可能」の反対は「可能」ではない「挑戦」だ!

・一流になれ、そうすればものが言える。

・もし、他人に何かのインパクトを与えるような生き方が出来なかったとしたら、人生などそれほど重要なものではないと思う。

 

深いですね。言葉に裏打ちされた努力と信念がうかがえます。

世界中で「人種差別」という言葉さえ無くなる日が、一日も早く来て欲しいですね。

 

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