こまどり姉妹が占いを始めたきっかけや、よく当たるのはなぜ?双子の波乱万丈な人生が衝撃的!

有吉反省会に出演のこまどり姉妹のお二人。占いが怖いほどよく当たると評判のようですね。

若い頃は三味線を抱えて演歌を歌っていらっしゃいました。

懐メロ番組に、たま~に出演されるくらいになって、もう引退されたのかと思いきや、有吉反省会に出演されて、ブレイク中!

そんなこまどり姉妹が占いをするようになったきっかけや、なぜよく当たるのか?

双子の姉妹の波乱万丈な人生についても調べました。

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こまどり姉妹が占いを始めたきっかけや、よく当たるのはなぜ?

こまどり姉妹のプロフィール

並木栄子(本名:長内栄子)双子の姉
並木葉子(本名:長内敏子)双子の妹
生年月日:1938年2月16日(80歳)お二人は一卵性双生児です。

炭鉱夫の貧しい家庭に育ち、子供の頃から大道芸人のようなことをして日銭を稼いでいたそうです。

その後、飲み屋街での流しでお客さんの要望に応えて歌を歌うようになり、1959年(昭和34年)にコロムビアのテストに合格して入社。デビュー曲は「浅草姉妹」

デビュー当時の芸名は「並木姉妹」だったそうです(レコードジャケットでの表記は「並木栄子 並木葉子」)。

その後、新たな芸名を一般公募、して「こまどり姉妹」と変更したそうです。

「こまどり」って可愛い名前ですよね。こまどりは、スズメくらいの大きさなのに、馬のいななきのように力強く「ヒンカラカラカラカラ・・・」とさえずることから「駒鳥(こまどり)」と言われるそうです。

とっても綺麗なさえずりですよ。

演歌歌手として芸能界へデビューした二人にはぴったりの芸名だったのだと思います。

来年には芸能生活60年にもなるお二人ですが、2008年(平成20年)には第50回日本レコード大賞で功労賞を受賞されています。

占いを始めたきっかけや、よく当たるのはなぜ?

こまどり姉妹が占いを始めたきっかけは意外なことでした。

妹の敏子さんが癌を患い、歌えなくなった時に、占いをやってみたいと思い、一生懸命に勉強したそうです。

動画の中でも言っていますが、人生経験の長い年配の女性に占ってもらったら、とっても説得力がありますよね。

長い人生、色々な苦労をしてきた人の言葉には重みがありますし、ご自分の経験も踏まえ、相談者の悩み事や今後の良い方向性なども想像できるのではないかと思います。

占いがよく当たるのは、もちろん占いの勉強をされたことは当然のことながら、経験値の大きさには誰も勝てないと思うのです。

双子の波乱万丈な人生が衝撃的!

双子の姉妹、栄子さんと敏子さんですが、そのお二人の波乱万丈な人生があまりにも衝撃的です。

父親は北海道厚岸郡厚岸町の炭鉱で働いており、家族はその後樺太へ渡り、敗戦まで樺太で育ったそうです。

極寒の地、樺太と聞いただけで大変なイメージですね。めちゃくちゃ寒そうです。

戦後は極貧生活の中、帯広市や釧路市の炭坑町を転々としたそうですが、姉妹が11歳の時に父が結核にかかって職を失い、家賃が払えなくなり夜逃げしてしまいます。

動画の中でも「温かいご飯を食べたことが無い」と言っていますが、とどれだけ貧乏だったのか、想像を絶する生活ですね。

姉妹は11歳の時から日銭を稼ぐために門付(かどづけ)を始めたそうです。門付とは、門口に立つ大道芸人のようなものですね。

1951年に13歳で上京したそうですから、2年間は門付をして稼いでいたということになりますね。

そんな小さな時から苦労したんですね~。…って、お二人の苦難はまだまだ続きます。

上京してからは、三味線を抱えて浅草の飲食街で流しとして働いていましたが、コロムビアのテストに合格し、1959年に21歳で「浅草姉妹」としてレコードデビューを果たします。

その後、7年連続で紅白に出場するほどの人気となり、芸能生活も順調のように見えました。

しかし、人気絶頂の1966年、28歳の時にステージ上でストーカーが妹・敏子さんを刺すという刺傷事件が起こります。

腹部を刺された敏子さんは重傷を負いますが、一命をとりとめたそうです。

このストーカーは、実は姉の栄子さんに結婚を迫っていた熱狂的ファンでしたが、相手にされず、間違えて敏子さんを刺したことが分かりました。

そして1971年、妹・敏子さんが33歳で末期がん宣告を受けます。

これだけでもショックなのに、さらにその年の5月に母、そして10月に父が亡くなります。

敏子さんのがんの治療のため、1億円の借金を背負うことになったそうです。

こんなに不幸って続くものでしょうか?本当に辛いって、こういう事なんじゃないかな?と思います。

これほどの苦難によく耐えてこられたと思いますし、想像もできないですね。

1973年、35歳で一旦芸能界を引退しますが、1974年、36歳で姉・栄子さんが未婚の母となったそうです。

この時の逸話が衝撃的です。

がんの闘病中だった敏子さんが「私が死んだらお姉ちゃん寂しいだろうから、つき合ってる人がいたら先に子供を産んで、生まれてきた子供を私だと思って育ててね」と言ったそうです。

敏子さんは徐々に回復してお元気になりますが、栄子さんは、音楽教室やスナックで働きながら、1億円の借金を地道に返済していきます。

1983年、45歳でこまどり姉妹活動を再開します。敏子さんも元気になり、また歌えるようになって、本当に良かったですね。

1984年、久々の新曲「浪花節だよ人生は」で再スタートを切りました。

多くの苦難を経験されたお二人ですが、生まれた時から一緒で、常に支え合ってこられたのですね。

80歳になられた今、過去の不幸な経験談まで明るく話され「シワがよるのも長生きさせてもらったご褒美」と言う敏子さん。

占いというより、人生相談でいいからお話ししたいなぁ~と思います。

まだまだチャーミングなお二人です。

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まとめ

こまどり姉妹が占いを始めたきっかけは、妹の敏子さんが33歳でがんを患った時に、歌えなくてもできる仕事は?と考え、好きだった占いを勉強したこと。

80歳になったら、やってみたいと思っていたそうです。

占いがよく当たるのはなぜか?

一生懸命勉強したことももちろんですが、多くの苦難を乗り越えてこられた人生経験が、説得力のある回答になっているのではないかと思います。

波乱万丈な人生を共に乗り越えてこられた「こまどり姉妹」のお二人ですが、これからも、お元気で活躍して欲しいですね。

 

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