逸見政孝さん「病名はガンです」親友のビートたけしは酒とゴルフを断ち、願掛けをしていた!

1993年12月25日に48歳という若さでこの世を去ったアナウンサーの逸見政孝さん。

3ヶ月前の9月に記者会見を開き、ご自分が侵されている病気について「病名はガンです」とテレビの画面でお話しになりました。

あのときの衝撃は今でも忘れられず、それからわずか3ヶ月で帰らぬ人となるなんて。日本中の視聴者は涙に暮れたことと思います。

これほどまでに多くの国民に愛されたアナウンサーがかつていたでしょうか?

親友であるビートたけし(北野たけし)さんとの関係についても調べました。

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逸見政孝さん「病名はガンです」

逸見政孝さんとは?

 

逸見政孝(いつみ まさたか)
生年月日:1945年2月16日
没年月日:1993年12月25日(48歳没)
出身地 :大阪府大阪市阿倍野区
最終学歴 :早稲田大学第一文学部

1968年フジテレビに入社、大阪出身でありながら完璧な標準語のアクセントをマスターしていたため、フジテレビのアナウンサー試験では、試験官から出身地を確かめられたという程の実力の持ち主。

フジテレビ入社後には毎年の新社員研修にて「当社にはアクセント辞典を食べた特異体質の男がいる」と語られるようになったそうです。

どれほどの努力家だったのか、アナウンサー界のレジェンドと言っても過言ではないでしょう。

私にとっても、逸見さんが幸田シャーミンさんと二人で勤めた夕方の報道番組「スーパータイム」は、夕食前のお決まりの番組となっていました。

ほぼ毎日、逸見さんの読むニュースを聞いていた私には、彼が大阪出身だなんて微塵も感じることはありませんでした。

『3時のあなた』『FNNスーパータイム』で多くのファンに支持され、人気アナウンサーになりました。

1987年に勤続20年を迎えた際、管理職に昇格したことによって『FNNスーパータイム』以外の番組への出演機会が徐々に減少しました。

普通なら、偉くなって楽になったと喜ぶところですよね。

しかし「生涯、一アナウンサーでありたい」との思いが強くなった逸見さんは、同年11月に退職願を提出され、翌1988年3月末を以って、アナウンス部副部長を最後にフジテレビを円満退職したそうです。

アナウンサーが天職と感じていたのでしょうか、いえ、視聴者もそれを望んでいましたね。

フリーになってからは、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』『たけし・逸見の平成教育委員会』などのほか、多数のバラエティ番組でも司会を務めるなど大活躍されていました。

真面目で努力家、人当たりが良くて茶目っ気もあり、バラエティ番組で見せる顔は、ニュースを読むときとは違う逸見さんのようでした。
そのギャップが本当に面白くて、一躍お茶の間の人気者になったわけです。

ところが、人気絶頂の最中、次第にお痩せになっていく様子に「仕事が忙し過ぎるのでは?」と心配するファンも多かったと思います。

1993年9月の記者会見で、「わたくしが侵されている病気、病名は、ガンです」という言葉が、全国のファンにとってどれほどの衝撃だったかは、言うまでもありません。

会見の様子はこちらです。

自分のことより仕事にかかる迷惑、そしてご両親や家族への心配と、どこまでも他人を気遣う逸見さんの優しさが聞いていて辛すぎます。

リポーターのしつこい質問にもきちんと答える紳士的な逸見さんを、私はずっと泣きながら見ていた記憶があります。

まるでニュースを読むように、淡々と語る逸見さんらしい語り口ですが、ご自身の病気の内容や手術の様子をカメラの前でお話しされるのはどれほど辛かったか、今聞いても涙が流れます。

多くのファンや関係者が生還、復帰を望んでいましたが、その願いは届かず、会見から3ヶ月後の1993年12月25日、たった48歳の若さで逸見政孝さんは旅立ちました。

親友のビートたけしは酒とゴルフを断ち、願掛けをしていた!

 

ビートたけし(北野たけし)さんは、1991年10月から1997年9月まで続いた長寿番組「平成教育委員会」で逸見さんと共演し、私生活でも親交を深めていました。

「平成教育委員会」は、小中学生の勉強する内容を大人達が悪戦苦闘しながら解く番組。

その日の番組終了時には最優秀生徒を決定し表彰する、というのが番組開始時から続く基本的なスタイルで、平均視聴率は16.2%を記録する人気番組でした。

逸見さんが癌の再発で再入院することを知ったたけしさんは、その日から告別式の日まで酒とゴルフを絶ったといいます。

たけしさんなりの願掛けだったのですね。

告別式には、たけしさんは号泣。本当はたけしさんが読むはずだった弔事を山城新伍さんが読まれたそうです。

あれほど号泣しているたけしさんを私はテレビで見たことがありませんでした。

いえ、たけしさんに限らず、特別番組が放送された際には、出演者全員が号泣していました。

テレビ番組として異常な事態が起こっている、それほどテレビ界にとって大切な人がこの世を去ったのだと感じました。

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まとめ

逸見政孝さんが亡くなって25年になりますが、あれほど国民やテレビ関係者に愛されたアナウンサーが今までいたでしょうか。

記者会見で「病名はガンです」と語った時の逸見さんの顔、恐怖と立ち向かおうとする眼差しを忘れることができません。

改めてガンの恐ろしさ、容赦なさを感じます。

報道番組やバラエティ番組で活躍されていた逸見さんの声、話し方、シャイな笑顔。今でもはっきり思い出すことができます。

親友のたけしさんは大好きなお酒とゴルフを断って願掛けをしていました。

「いい人ばかり先に死んじゃうんだ。俺がもっと悪いことを教えてあげればよかった」と号泣したといいます。

私も号泣しました。

家族でもない、友人でもない、テレビに出ている人が亡くなってこれほど悲しいことなど、後にも先にももう無いと思います。

逸見政孝さんが大好きでした。

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最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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